学生の時、就職活動というものが分からなかった。
自分自身の不勉強もあって、OBOG訪問というものの意義も、
出始めのインターンというのもよく分からず、ただ怖く、卒論と部活動に逃げた。
そんな私が今、40歳を手前に再度社会復帰を目指して就職活動をしている。
結婚出産からブランクがある。
資格もなければこれといった手に職もない。
そんな中で学生時代より少しだけ努力して適性検査や面接に行っている。
過去の自分自身を振り返り、ああ、あの時の自分もこれが理解できていればなー
と思ったことを書き出してみた。
1)面接の不合格=人格否定ではない
→面接で落とされると途端に自分自身を否定された気持ちになり、立ち上がれなかった。
それで次の面接も怖くなり・・・と悪循環だった。
面接の不合格は自分自身の否定ではない、その会社とあうかあわないか。
自分を無理に飾る必要もないし、卑下することもない。
自分自身もここで働いて無理がないのか?を見極める立場にあると考えてもよい。
ただし、後ろ向きなことは前向きな言葉に変えたほうが良いのかもしれない。
なんとなくではあるが、退職理由は例え事実が「寿退社をほのめかされた」としても
言わないほうがいいのかもしれない。
これは私の感想でしかないが。
2)業界をしることは当たり前のことだ
→面接の際、ESの段階でも貴方のことを知ってますよ、というのは大切である。
就職活動のみならず何事においてもそうかもしれない。
「私はあなたに関心があるんですよ」
そう伝えなければ相手も自分を知ろうとなんかしてくれない。
普通の方々にとっては何をいまさら?という事柄かもしれない。
でも、この意義が分からなかった半端モンだったのです。
3)世の中にはいろいろな仕事がある
→世の中仕事ってたくさんある。
いろんな人がいろんな形・時間で働いている。
ひとつのことに固執して前にすすめないのはもったいないことだ。
私には3個上の姉がいて、とても優秀である。
姉は地頭も学力もとても高く尊敬できる人だ。
姉は早くからマスコミ・エンタメ会社を目標にしていた。
うすぼんやりとしていた自分は「じゃあ自分も~」と軽く考えていた。
学力も地頭も低い自分が目指せる業界ではなかった。
そこから、切り替えていろいろな業界業種を見ればよかったのに、それを怠ってしまった。
人生、何事もご縁でいいタイミングでめぐってくるようになっている。
ただ、それは指をくわえてじっと待っていてもつかみ取ることは難しい。
一歩前へ出てみよう。そう、アラフォーになって思えるようになった。
大の苦手・面接試験に不合格通知を下され、落ち込みつつも自分を励ますための記録として。